みんな大好き「魚の熟成」について、新情報です!
魚の熟成期間は一般的には長くても1週間程度とされていますよね。
ところが、日本橋の「不二楼」や渋谷の「万」といった熟成鮨の有名店では、1か月熟成させることもザラだそう。
そんなに長期間寝かせたら味がスカスカになりそう…そもそも肉ならまだしも魚の1か月なんて腐るのでは…なんて私なんかは思ってしまいますが…
そんな庶民の声を知ってか知らずか、「不二楼」と「万」、東京海洋大学の高橋希元先生らの研究グループ、そして民間企業の和僑ホールディングスという豪華なメンバーがタッグを組んで研究を行い、長期間(最長で31日!)熟成させた魚とイカの美味しさの秘密に迫りました!
今回はこの研究の内容を紹介しようと思います。
熟成についてのこれまでの研究
熟成の仕組みのおさらい
まずは、魚の熟成の仕組みについてこれまでにわかっていることを簡単にまとめます。
詳しくはこちらの記事をご覧ください↓
魚が死ぬと、筋肉に含まれるATPが代謝されてイノシン酸(IMP)ができます。
このイノシン酸(イカやエビではアデニル酸)が「旨味」の正体です。
旨味であるイノシン酸は時間が経つとさらに分解されて、イノシン(HxR)やヒポキサンチン(Hx)となります。
これが「臭み」です。
そのため、「熟成に成功した状態」とは「イノシン酸の量がピークを迎え、かつ臭み成分がまだ出ていない状態」だと言えます。
長期熟成の謎
ところが、冒頭で紹介したように熟成寿司の有名店では1か月も熟成させた魚が提供されています。
これほどまでに長期間熟成させると、イノシン酸やアデニル酸の量はそのピークをとっくに過ぎてかなり減ってしまうはず。
そのため、こうした長期熟成魚が本当に美味しいのだとすれば(食べたことがないからわからないのですが)、その美味しさの秘密は別の物質にあるはずなのですが…
残念ながらその正体はわかっておらず、私はずっとモヤモヤしていました。
モヤモヤから生まれた記事↓
最新の研究で長期熟成の謎に切り込んだ!
そんな中で発表されたのがこちらの研究です。
研究の概要
この研究の目的は、長期熟成によって魚とイカの刺身の「味を感じさせる成分」と「歯ごたえの強さ」がどう変わるかを調べることでした。
味を感じさせる成分
イノシン酸やアデニル酸に代わって長期熟成の美味しさに貢献する物質の候補として、「アミノ酸」があります。
一口にアミノ酸といっても様々な種類があり、中には旨味成分として機能するものもあります。昆布で有名な「グルタミン酸」もアミノ酸の一種ですね。
アミノ酸はタンパク質が分解することで生じます。タンパク質はアミノ酸が数珠つなぎになったものなので、タンパク質が分解すればアミノ酸が遊離してくるのです。
イノシン酸やアデニル酸が減少した後、タンパク質が分解してできたアミノ酸が、長期熟成魚の旨味の主役になることが予想されます。
そのため、この研究では「味を感じさせる成分」として、今まで重要視されてきたイノシン酸・アデニル酸に加えて、アミノ酸についても調べたのです。
歯ごたえの強さ
熟成に関するこれまでの研究は、旨味成分を定量化するものがほとんどでした。
しかし、皆さんもよくご存じのように、魚を寝かせるとどんどん柔らかくなってきて、その舌触りも含めて熟成魚の美味しさが形成されているように感じますよね。
こうした旨味成分以外の指標として、この研究では機械で計測可能な「テクスチャー」を「歯ごたえの強さ」の代わりに調べています。
実験の方法
実験は、実際のお店で行われているのと同じ方法で材料を熟成させ、上記の指標を調べるというものでした。
使われた材料はこちらの通り。
魚:
カンパチ(養殖)・マカジキ(天然)・シマアジ(天然)
イカ:
アオリイカ(天然)
背骨のある動物(=脊椎動物)である魚と、背骨の無い動物(=無脊椎動物)では熟成の仕組みが違うので、魚とイカの両方を調べたところはさすがですね!
熟成の条件はこちらです。
熟成温度:
1℃
熟成期間:
13-31日
実際は例外もけっこうありますし、材料ごとに異なる細かい手順で熟成処理がされていました(詳しくは下のおまけ1参照)。
実験の結果
イノシン酸・アデニル酸の量
これまでの熟成で重要視されていたイノシン酸・アデニル酸は、熟成後には熟成前より明らかに減少しました。
これは予想通りですね。
ここまで長い間寝かせておけば、これらの旨味成分はとっくに分解してしまっているはずだからです。
ただ、私のイメージでは1か月も寝かせたらイノシン酸やアデニル酸はほとんど無くなってしまうのかと思っていましたが、実際には31日間熟成させたマカジキとシマアジでも熟成前の半分くらいは残っていました。
アミノ酸の量
お次は気になるアミノ酸について。
この研究では複数のアミノ酸の量を調べています。
まずは「旨味」を感じさせる成分であるグルタミン酸とアスパラギン酸。
こちらは全てのサンプルで熟成前よりも増加しました。
また「甘味」を感じさせるセリン・スレオニンも全てのサンプルで増加し、同じく甘味を感じさせるアラニンもカンパチ・アオリイカ・マカジキで増加しました。
歯ごたえ(テクスチャー)
最後に歯ごたえ(テクスチャー)について。
1か月も寝かせたら随分柔らかくなりそうに思いますよね。
確かに、カンパチとマカジキでは熟成前に比べて柔らかくなりました。
ところが、アオリイカやシマアジでは変化がないという結果になりました。
1か月も寝かせたシマアジで歯ごたえが変わらないなんてことある?
これはあくまでも機械を使った測定値の話であって、著者らも認めている様に人の舌が感じる微妙な質感の違い(例えば、ねっとり感)などをそのまま示す結果ではないことに注意が必要です。
これは科学の話をする場合はいつも注意しなければいけないことですね(詳しくは下記のおまけ2参照)。
まとめ
長期熟成した刺身では、魚のイノシン酸やイカのアデニル酸など、ATPに由来する旨味成分は予想通り減少しました。
一方、これまでは軽視されてきた、タンパク質の分解によって生じ旨味や甘味を感じさせるアミノ酸はのきなみ増加。
これらのアミノ酸と、まだ身に残っていたイノシン酸やアデニル酸が組み合わさって、長期熟成した魚の美味しさを形作っているんですね。
実は、ものによっては熟成の過程で塩をしていました(おまけ1参照)。
塩分が組み合わさることでも、熟成刺身の味わいが深まるようです。
おまけ1:実験での具体的な熟成のプロセス
実験では以下のように熟成が行われました。
有名店での熟成の技を垣間見れるなんてドキドキ
カンパチ・アオリイカ
- 三枚におろした後に「食品用ホタテ貝殻由来除菌剤」なるもので試料表面を拭く。
- 調理用ペーパーとラップにくるんだ状態で1℃の冷蔵庫へ。
- ラップとペーパーは毎日交換し、13日熟成。
「食品用ホタテ貝殻由来除菌剤」以外は私が家庭で行うのと同じような方法です。それだけで13日も持つなんて、「食品用ホタテ貝殻由来除菌剤」恐るべし…
マカジキ
- 背側の筋肉ブロックを調理用ペーパーだけで包む(ラップはなし)。
- 調理用ペーパーは毎日交換し、10日熟成。
- 表面をトリミングしたのち、100gの塩で包んだ状態でさらに10日熟成。
- 表面をトリミングして調理用ペーパーに包み、さらに11日間熟成。
ラップは使わないんですね。表面を乾いた状態に保つことで雑菌が繁殖しにくいのかな?大量の塩で包むという熟成方法も初耳。
シマアジ
- フィレにしたあと、調理用ペーパーだけで包む(ラップはなし)。
- 調理用ペーパーは毎日交換し、10日熟成。
- 骨と皮を除いて、100gの塩で30分間覆い、これを水道水で洗い流す。
- 表面を拭いて調理用ペーパーで包み、3℃で7日間熟成。
- 表面をトリミングしたあと調理用ペーパーで包み、1℃で7日間熟成。
ここでもラップは使わないんですね。それにしても手順が細かい…何度も試行錯誤を繰り返してこの方法を確立されたのでしょうね。
おまけ2:科学という手法の落とし穴
味を科学的に明らかにしようとする試みはとても面白いと思います。
ただ、この「科学」という言葉には注意が必要です。
私たちはともすると「科学的」ということと「正しい」ということを混同してしまいがちです。
ところが「科学」とは「数字で表せるものだけを扱う方法の名前」にすぎません。
この論文を読んでみればわかりますが、すべての根拠は測定値です。
測定できないものは科学のまな板に載せることはできないのです。
科学というのはこういう意味でとても極端な方法で、定量可能な経験を扱うという姿勢は原理主義と言っても良いほどだと思います。
「味わい」というのは科学の最も苦手とするところ。
まず、この味わいに関わる物質がとても多い。
さらに、これらの物質が相互に影響しあっている。
さらにさらに、味わいには間違いなく「香り」など他の要素が影響する。
このようなことまで総合的に定量する方法は、今のところありません。
今回紹介した研究は、総合的に味を評価することを試みた素晴らしい研究だと思います。
それでも項目数は限られます。
イノシン酸とアデニル酸の量・18種類の遊離アミノ酸の量・塩分・水分含有量・一つの方法で測定されたテクスチャー。
味に影響する他の要素ももちろんあるはずですし、測定された要素同士の相互作用も不明です。
味を科学で解明しようとする取り組みには個人的に強い興味を抱くのでこうして紹介していますが、美味しさの根拠を論文で証明された結果のみに求めるのは、「情報を食べている」ようで寂しい感じがします。誰かさんの受け売りですが…
情報は情報としてフラットに受け取って、あまり頭でっかちにならず最終的には自分の舌で美味しさを楽しめたらいいなと私は思っています。
「不二楼」さんや「万」さんにも是非行ってみたいですね~!
コメント
はじめまして♪
僕は釣りをしていて、素材は山盛り手に入るので片手間にいろいろ試しています♪
種類とその魚の持っているポテンシャルにもよるのですが、長期熟成は歩留まりの悪さと、皆似たような味になりがちという事でほとんどやらなくなりました。。
もちろんそれぞれの好みだとは思うのですが、かおりさんは熟成魚はいかがだったでしょうか?
熟成っぽい味を食べたい時、生食の延命処置、という感じでは
以前流行った生ハム、柵に塩して洗ってピチッとに包んで真空パックしてチルドにポイっ
という感じが手間もかからず歩留まりも良く定着しています♪
コメントありがとうございます。
釣りがお上手なんですね!私はごくたまにやる程度ですが、基本ボウズで釣りの帰りに魚屋さんに寄ることもしばしばという出来の悪さなので羨ましいです…笑
正直に言うと、長期熟成にはアツシさんと同じような印象を抱いています。
ただ、長期熟成のいわゆる名店には行ったことがないので、一流の職人の技を体験するまでは中立の立場でいようと思っています。なかなか実現しませんが…
「柵に塩して洗ってピチッとに包んで真空パックしてチルドにポイっ」という技は知りませんでした!すごく良さそうですね!是非やってみようと思います。
ありがとうございました。
お返事ありがとうございます♪
僕はカヤックで沖に漕ぎ出しで釣りしてるんですが、岸からでは考えられないくらい釣れ(るときもあり)ますよ♪
長期熟成、僕も他の人が作ったものは食べた事が無いので、ほんといちど経験してみないとですね!
熟成魚は、生食出来る時間や味の価値観を変えてくれたので、環境と身の丈にあった使い方をしています^_^
釣り人(とその家族)の中ではぞんざいに扱われる事の多いハマチも、血合いと皮目はトリミングしますが、5.6日目あたりからキハダマグロのような感じになってきます♪
熟成が流行る前なら、生食はしてませんでした。。
生ハム、先に塩して水出しておくとピチッとを途中で替えずに済むので経済的なんですよ♪
先日、去年の日付けのものがチルドの奥から発掘されましたが、加工後は一切空気に触れてないのでキレイな色してました 笑
またまたありがとうございます!
ハマチの熟成でキハダのようになるなんて知らなかったです!
いつも扱いに困っていたので、これも是非試させてください。
ピチットの前に塩をする技もとても勉強になります。
そのまま巻くと一晩でベショベショになってしまいますもんね…
それにしても1年以上もチルドで持つなんて衝撃です!